●赤い風船

 

久しぶりの「ミニ・パフェ」更新です。
でも、今回の「ミニ・パフェ」は、本家「マスタード・パフェ」より、気合いが入っています!

今日、アマゾンで注文したCDが到着しました。
取るものもとりあえずCDをデッキに突っ込みました。(昔風に、『レコードに針を落としました』っていう表現の方が、絵になるんですけどね)

流れてきた曲は、「あの子は、どこの子 こんな夕暮れ〜」
そう、私の心の天使、浅田美代子です!「赤い風船」です!
感涙です!涙、涙、涙です!

いまでこそ「ボケキャラ」で売っていますが、当時(私が10代初めの頃)は、天地真理、南砂織、小柳ルミ子の次の世代のスーパーアイドルでした。
「となりのミヨちゃん」です!
可愛かったなぁ〜〜〜〜〜〜〜!
私が、人生の中で唯一夢中になったアイドルです。

当時から歌唱力が云々とか言われていましたが、そんな事はどうでもいいんです!
浅田美代子はミュージシャンではありません!
ましてや、そんじょそこらの「歌手」ふぜいではありませんっ!
「アイドル」なのですっ! ア・イ・ド・ルっ!
アイドルには歌唱力なんか、必要ないのです!
可愛ければいいんです!それでいいんです!それが全てです!
文句あるか、この野郎!です。

でもね、今こうして聞いても、そして当時から思っていたのですが、そんなに歌が下手だとは思えないのです。 それどころか、彼女の透明な歌声は、他の歌手の追随を許さないのではないかとさえ思えます。
彼女の楽曲は、彼女にしか歌えないと思うのです。
例えば、歌唱力に定評のある歌手“和田アキ子”や“尾崎紀世彦”、“レイ・チャールズ”“都はるみ”が「ひとりっ子 甘えっ子」を
歌う場面を想像して下さい!どうですかっ? 今風に言うと「ありえないぃ〜」でしょう?

最近のアイドル達と比べても、決してひけをとらないばかりか、あの浅田美代子の「清純さ」「可憐さ」を表現できるアイドルがいますか?居ないでしょう!?
「らぶ・ましぃ〜ん」じゃないんだよっ!
「じゃん・けん・ぴょん」じゃね〜んだよ!

浅田美代子の数々の名曲ほど、心をあったかくしてくれて、人の心に希望を与えてくれる楽曲が、最近の楽曲の中にありますか?(まぁ、無いことはないけど)
「イシンデンシン」って言われても、全然伝わってこないんですよっ!
リュ・ナントカとか、チョ・ナントカとか言われても、ごめんなさい、やっぱ違うんですよ!
やっぱり私には「ひとりが好きなのひとりっ子 ほんとはウソなの甘えっ子」なんですよ!
「しあわせの一番星」なんですよ!「ルルルルル 心に光る あの人の笑顔が 明日もきっと元気でいると 胸をたたいた」なんですよっ!

こうして「ミニ・パフェ」を書いている間も、「浅田美代子 ゴールデン☆ベスト」が流れています。
く〜〜〜〜〜!感動です!ホント、泣けます。
30年の時が一気に逆流してしまったようです。
この30年間にあった、辛いこと、苦しいこと、嫌なこと、悲しいことの全てが洗い流されて行くような、全てを許してもいいような、全てから許されたような、そんな感激に包まれています。

いま、CDのディスコグラフィーを読み返してみると、浅田美代子がアイドルとして活躍したのは1973年発売の「赤い風船」から1975年発売の「この胸に、この髪に」までのたった2年とちょっとです。
その短い活動期間で、私の心の奥深くに入り込み、心の襞の隙間のひとつひとつに染み込んでいった浅田美代子の偉大さに、私はいま、震えています。(おいおい)

白状すれば、今で言う「追っかけ」というやつもやりました。
当時は、あれほどのスターでも、デパートの屋上などで“新曲発表会”のようなイベントを行っていました。

その時のエピソードです。
日本橋三越の屋上で行われた新曲発表会に当時15歳の私は、駆けつけました。朝5時くらいから並んで、開店と共に屋上まで駆け上がって。
エレベーターを使うより、走った方が早いんです!
人生の全てをこの一瞬に賭けたような、私の気迫は、屋上一番乗りを果たしました。

しかし!ここで力尽きました・・・・(;;)
観客席に辿り着く前に、エレベーターで上がってきた、体力を温存していたライバル達に、ゴール(観客席)手前で、競り負けたのです・・・・(泣)
大リーグボール3号を長打した後、1塁ベースまで辿り着けなかった伴宙太の気持ちがわかりました!(わかる人はわかる 笑)

でも神は私を見捨てませんでした。
浅田美代子ミニコンサートの途中の「ミヨちゃんと遊ぼうコーナー」で、「グレープフルーツ早食い競争」に私は多くのライバル達を押しのけて出場の機会を与えられたのです。
なんと、憧れのミヨちゃんと同じステージに立ったのです!!!!
天にも昇る気持ちというのは、あのことでしょう!
私の目の前には、あの浅田美代子が!!! マジ、天使に見えました!
そして5人ほどの出場者ひとりひとりに「頑張ってくださいネ!(この「ネ!」がポイントです)」の励ましの“お言葉”・・・・・
ここで頑張らなきゃ男じゃないっ!
この後の人生の全てを捨てても良い!とさえ思った私は、スタートの合図と同時に、グレープフルーツ丸ごと1個「丸飲み」という荒技で、見事優勝を勝ち取りました!
優勝者インタビュー(?)で、あの浅田美代子様が、私一人の目の前に立って、この私に、私だけに向かって何か声をかけてくれました!
たぶん「おめでとうございます」とか何とか言われたのでしょうが・・・憶えていません
その時の私は、飲み込んだグレープフルーツが喉に引っかかって、今にも吐きそうな状況でした。
憧れのミヨちゃんの目の前でそんな醜態を晒すわけにはいきません。(他の大勢の観客の目の前という状況なんか、どうでもよい事です)
喉の苦しさと、吐き気と、ミヨちゃんが目の前にいる感激とで、涙ボロボロでした。
思えば、あの時、あの瞬間が私の人生の最高峰だったのでしょう。
ミヨちゃんは、憶えていてくれるでしょうか・・・・?(んな訳ないな・・・・)

その後、浅田美代子が、私が敬愛する吉田拓朗と結婚したときは、本当に複雑な気持ちでした。
吉田拓朗は私の音楽活動の方向を決定づけた(おいおい、誰が音楽活動したんだよ!)、本当に好きなミュージシャンでした。
やはり嫉妬しましたよ。
「俺がミュージシャンだったらなぁ・・・」
「ギターさえ弾けたらなぁ・・・・」
って、たぶんそんな事で浅田美代子とつき合えるわけは無いのですが・・・・。
でも、浅田美代子と出会ったのは、俺の方が先だぞ! 拓朗!

そして浅田美代子は芸能界を引退して、私の青春の1ページは幕を閉じました・・・・。

ここ数年は、ドラマやバラエティー番組などで、昔と変わらない笑顔を見ることはありますが、今こうして、昔の歌声を聞くと、当時が切なく思い出されます。

私が大好きな曲「じゃあまたね」は、くしくも吉田拓朗の作曲です。

過ぎていった青春に、「じゃあまたね」って、また出会える事を約束できたなら、どんなに素敵なことでしょう。
「しあわせの一番星」を、いつまでも追い続けられたら、どんなにすばらしい事でしょう・・・。

いつまでも色褪せずに、透き通る歌声が、私の心に響いています。

こんなささやかな事に、小さな喜びを感じられる自分は、いま、少しだけ幸せです。

 

浅田美代子ディスコグラフィー
・赤い風船(1973.4.21)
・ひとりっ子 甘えっ子(1973.7.21)
・わたしの宵待草(1973.10.1)
・恋は真珠いろ(1973.12.5)
・しあわせの一番星(1974.3.1)
・虹の架け橋(1974.6.1)
・じゃあまたね(1974.8.21)
・想い出のカフェテラス(1974.12.21)
・少女恋唄(1975.3.1)
・この胸に この髪に(1975.10.21)

 

 
2005/5/24

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